2016年12月5日月曜日

佐藤一斎(さとういっさい)言志四録(げんししろく)の紹介                   


佐藤一斎(さとういっさい)言志四録(げんししろく)を紹介します

下の写真の碑文 (三学戒(さんがくかい)

(わか)くして学べば、(すなわ)(そう)にして()すこと有り
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず
言志晩禄 60条より



佐藤一斎(さとういっさい)とは

佐藤 一斎(さとう いっさい、安永元年10月20日(1772年11月14日) - 安政6年9月24日(1859年10月19日))は、美濃岩村藩士、儒学者。諱は担。通称は捨蔵。号は一斎のほか、愛日楼。

 安永元年10月20日(1772年11月14日)、美濃国岩村藩(現岐阜県恵那市)の家老の次男として江戸で生まれました。1790年から藩の家臣として仕えましたが、まもなく井上四明、中井竹山から儒学を学び、34歳で朱子学の宗家・林家の塾長となり、徳川幕府の大学頭・林述斎とコンビを組んで多くの門下生の教育にあたりました。幕府の儒官だったため、朱子学が専門ですがその広い見識は陽明学まで及び、儒学者の最高権威として崇められました。
 門下生は3000人とも言われ、一斎から育った弟子として、佐久間象山、山田方谷、渡辺崋山、横井小楠などがおり、孫弟子には勝海舟、坂本龍馬、吉田松陰、小林虎三郎(米百俵で有名)などがいます。彼らを通して、一斎の教えが幕末維新により新しい日本を作っていった指導者たちに大きな影響を与えたと言われています。
 また西郷隆盛(南洲)も佐藤一斎の『言志四録』全1133条から感銘を受けた101条抜き出し『手抄言志録』として座右に置いたと言われています。
 佐藤一斎はもっともっと世に知られても良い人物だと思います。
 安政6年9月24日(1859年10月19日)、88(86)歳で死去。


言志四録(げんししろく)

言志四録(げんししろく)とは、佐藤一斎が後半生の四十余年にわたって書いた語録であり、指導者のためのバイブルと呼ばれ、現代まで長く読み継がれています。

『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志(てつ)録』の4書の総称で全1133条からなっています。
  1. 言志録:全246条。佐藤一斎42歳(1813年)から53歳(1824年)までに執筆されたもの
  2. 言志後録:全255条。佐藤一斎57歳(1828年)から67歳(1838年)までに執筆されたもの
  3. 言志晩録:全292条。佐藤一斎67歳(1838年)から78歳(1849年)までに執筆されたもの
  4. 言志(てつ)録:全340条。佐藤一斎80歳(1851年)から82歳(1853年)までに執筆されたもの

このページでは私が感銘を受けた条文を抜粋し紹介させていただきます。

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言志録2条より
太上(たいじょう)は天を師とし、()の次は人を師とし、
其の次は
(けい)を師とす。
                
の人は「天地自然」を師と仰ぎ、その次は「尊敬する人」を師と仰ぎ、
更にその次は「教え」そのものを師とする。
さて我々は果たしてどんな師を持っているのだろう。
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言志録3条より
(およ)そ事を()すは、(すべか)らく天に(つか)ふるの心有るを(よう)すべし。
人に示すの
(ねん)有るを要せず。
                 
全ての事業を行うには、必ず天の意志に従う心を持つべきである。
他人に誇示する気持があってはならない。
共感度:B / 引用先:南洲手抄言志録101カ条

言志録5条より
憤の一字は、()れ進学の機関なり。
(しゅん)何人(なんびと)ぞや、(われ)何人ぞやとは、(まさ)に是れ憤なり。
                
憤の一字が学問を進展させる力である。
孔子の弟子の顔淵(舜)も同じ人間ではないかという言葉はまさに憤である。
共感度:C / 引用先:南洲手抄言志録101カ条

言志録6条より
学は立志より(よう)なるは()し。
(しこう)して立志も(また)()れを()うるに()らず。
()だ本心の好む所に従うのみ。
                
学問の行うには志を立てるより大事なものはない。
しかし立志は強制してはいけない。
本人の赴く所に従うべきである。
西郷南洲遺訓第36条より
聖賢に成らんと、(ほっ)する志無く、古人(こじん)事跡(じせき)を見、(とて)も、企て及ばぬと、()ふ様なる心ならば、戦に臨みて、逃るより(なお)卑怯なり。
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言志録7条より
立志の功は、恥を知るを(もっ)て要と()す。
                
志を立てて成功するには恥を知ることが肝要である。
言志耊録23条参照
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言志録10条より
人は(すべか)らく自ら省察(せいさつ)すべし。
「天は何の
(ゆえ)に我が身を生み出し、我をして果たして何の用に(きょう)せしむる。
我既に
天物(てんぶつ)なれば、必ず天役(てんえき)あり。
天役
(きょう)せずんば、天の(とが)必ず至らん」と。
省察ここに到れば、
(すなわち)ち我が身の(かりそめ)に生く()からざるを知る。
                
人は必ず自ら反省して考察すべきである。
「天は何ゆえに自分をこの世に生み出し、何をさせようとしているのか。
自分は天が生んだものであるから必ず役割がある。
その役割を果たさなければ天罰を受ける」と。
ここまで考えが明らかになると、いい加減に生きる訳に行かないことが分かってくるだろう。
坂村真民 「生きるのだ」 
いのちいっぱい
生きるのだ
念じ念じて
生きるのだ
一度しかない人生を
何か世のため人のため
自分にできることをして
この身を捧げ
生きるのだ 
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言志録13条より
学を()す。(ゆえ)に書を読む。
                
学問をして自己研鑽のために本を読む。本を読むことが学問ではない。
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言志録19条より
(おもて)は冷ならんことを(ほっ)
背は
(だん)ならんことを欲し、
胸は
(きょ)ならんことを欲し、
腹は
(じつ)ならんことを欲す。

頭は冷静で、
人には温かく、
心にわだかまりがなく、
腹は座っているようありたい。
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言志録21条より
心下(しんか)痞塞(ひそく)すれば、百慮皆(あやま)る。

心の奥底が塞がっていると、どんな考えも誤ったものになる。
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言志録26条より
事を
(おもんばか)るは周詳(しゅうよう)ならんことを(ほっ)し、
事を処するは
易簡(いかん)ならんことを欲す。
             
物事を考える時は周到で緻密であるようにしたい。
物事に対処する時は手早く簡単にするようにしたい。
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言志録27条より
真に大志ある者は、
()小物(しょうぶつ)を勤め、
真に遠慮あるものは、
細事(さいじ)(ゆるがせ)にせず。
                  
真に大志を抱く者は小さな事柄でも一生懸命に勤め、
また真に先々のことまで考えている人は些細な事柄もおろそかにしない。
二宮尊徳翁の『
積小(せきしょう)()(だい)
大事を
()さむと欲せば、小なる事を怠らず勤むべし。
小積もりて大となればなり。
(およ)そ小人の常、大なる事を欲して小なる事を怠り、
出来難き事を憂いて、出来易き事を勤めず。
()(ゆえ)(つい)に大なる事をなすこと(あた)わず。
夫れ大は小を積んで大となる事を知らぬ故なり。
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言志録33条より
志有るの士は
利刃(りじん)(ごと)し。百邪(ひゃくじゃ)辟易(へきえき)す。
志無きの人は鈍刀の如し。
童蒙(どうもう)侮翫(ぶがん)す。
                 
志のある者は鋭利な刃のようで、魔物・誘惑も退散する。
志の無いものは切れない刀のようで、子供ですら馬鹿にする。
自分の学問や仕事に社会的な価値を見付けて励むことを『志を持つ』という。志はエネルギーを生む。
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言志録36条より
人の言は
(すべか)らく()れて(これ)(えら)ぶべし。
拒む
()からず。又(まど)()からず。

他人の言は全て聞き入れてから、よしあしを選択すべきである。
最初から拒むべきではない。又その人の言に惑うことがあってはいけない。
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言志録37条より
()く人を()るる者にして、(しか)る後(もっ)て人を()むべし。
人も(また)()の責を受く。
人を容るること
(あた)わざる者は人を責むること能わず。
人も亦其の責を受けず。

人を寛容に受け入れる度量の有る人が人の欠点を責めることができる。

責められる人もその責を受け入れる。
人を受けきれる度量の無い人は他人の欠点を責める資格は無い。

責められた人は受け付けない。
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言志録42条より
(ぶん)を知りて、(しか)る後に足るを知る。

自分の身のほどを知って、初めて現状に満足することを知る。
老子に『足るを知る者は富む』とある。
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言志録43条より
(さく)の非を()ゆる者は()れ有り。
今の
(あやまち)を改むる者は(すく)なし。
                  
過去の過ちを後悔する人はいるが、
現在している過ちを改める人は少ない。
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言志録46条より
土地人民は天物なり。

()けて(これ)を養い、物をして(おのおの)()の所を()しむるは、()れ君の職なり。
人君
(あるい)(あやま)りて、土地人民は皆我が物なり、と()うて之を(あら)す。
(これ)()れ君、天物を(ぬす)むと謂う。
                 
土地人民は天からの授かり物である。

受けてこれを養い、適切な働き場を与えるのが、君主の仕事である。
ところが勘違いして「土地人民は全て自分のものである」と乱暴に扱う君主がいる。
それは天からの授かり物を盗むと言う事である。
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言志録54条より
酒は穀気の精なり。
(すこ)しく飲めば(もっ)て生を養うべし。
過飲して
狂酗(きょうく)に至るは、()れ薬に()りて病を発するなり。
                  
酒は穀類のエキスだから少しずつ飲めばとても体にいい。
人は時々飲みすぎて狂った様になる。
薬でも分量を間違えると大変なことになるのだ。
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言志録67条より
利は天下公共の物なれば、何ぞ
(かっ)て悪有らん。
但だ自ら
()れを(もっぱら)にすれば、(すなわ)(うらみ)を取るの道たるのみ。

利益を得るのは悪いことではない。
しかし独占しようとすると怨みを買う。
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言志録70条より
(およ)そ人を(いさ)めんと欲するには、唯だ一団の誠意、言に(あふ)るること有るのみ。
いやしくも一
忿疾(ふんしつ)の心を(はさ)まば、(いさめ)は決して入らず。

人に忠告しようとするならば誠意を示して、それが言葉に溢れるようでなければならない。
怒りや憎しみの気持がほんの少しでもあれば忠告は相手に入っていかない。
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言志録71条より
(いさめ)を聞くものは、(もと)より(すべか)らく虚懐(きょかい)なるべし。
諫を進むる者も、
(また)須らく虚懐なるべし。

忠告を聞くものはわだかまりのない心で聞かなければならない。
忠告する者もわだかまりのない気持ちでなければならない。
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言志録84条より
下情は下事と同じからず。
人に君たる者、下情に通ぜざるべからず。
下事は
(すなわ)ち必ずしも通ぜず。

下情(民衆の実情)と下事(しもじもの仕事)は同じではない。
人の上に立つ者は下情には通じているべきである。
下事には必ずしも通じていなくとも良い。
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言志録88条より
著眼(ちゃくがん)高ければ、(すなわ)ち理を見て()せず。

目の着け所を高い所に置くならば道理が見えて迷うことが無い。
共感度:B / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志録92条より
やむを得ざるに
(せま)りて、(しか)る後に(これ)を外に発する者は花なり。

準備万端整えば花は咲かざるを得ん、自分の為に・・。
人も成長すれば必ず与えられた義務を果たさねばならぬ。
一生懸命それを励むとき、これは美しい花だと人が認める。
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言志録119条より
士は
(まさ)(おのれ)に在る者を(たの)むべし。
動天(どうてん)驚地(きょうち)極大の事業も、
(また)()べて一己(いっこ)より諦造(ていぞう)す。

立派な男子たるものは自分自身を頼りにすべし。
天地を揺るがすような大事業も全て自分自身で創り出すものである。
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言志録120条より
(おの)れを(うしな)えば(ここ)に人を喪う。
人を喪えば斯に物を喪う。


自己を失えば人が離れていき、
そして信用を失う。
共感度:D / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志録121条より
士は独立自信を
(たっと)ぶ。
熱に
()り炎に()くの(ねん)、起こすべからず。

立派な男子たるものは独立して自信を持つことが大切である。
権勢のある者におもねりへつらうな。
共感度:C / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志録123条より
人は
少壮(しょうそう)の時に(あた)りては、惜陰(せきいん)を知らず。
知ると
(いえど)(はなは)だしくは、惜しむに至らず。 
四十を過ぎて
已後(いご)、始めて惜陰を知る。
既に知るの時、精力
(ようや)(もう)せり。(ゆえ)に人の学を(おさ)むるには、(すべか)らく時に及びて立志勉励するを (よう)すべし。
しからざれば
(すなわ)ち百たび()ゆとも(また)(つい)に益無からむ。

人間は若いころは、時間を大切にすることを知らない。
知っていても本当に惜しむことをしない。
四十歳を過ぎた後、初めて「惜陰」に気付く。
しかし、この頃になると 精力も次第に衰えている。
だから学問をしようと思ったら、ぜひとも若く元気なうちに志を立てて勉め励まなければならない。 
そうでないと、どんなに後悔しても、間に合わず何の益も無い。

陶淵明(とうえんめい)雑詩より 
                            人生は根蔕(こんてい)(土台)無く
             
               (ひょう)たること(風で飛ぶ)陌上(はくじょう)(路上)の塵の如し
             中略
                            時に及んで
(まさ)に勉励すべし
                            歳月は人を待たず

朱熹(しゅき)の偶成より
                            少年老い易く学成り難し
                            一寸の光陰軽んず可からず  以下略
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言志録125条より
()むべからずの(いきおい)に動けば、(すなわ)ち動いて(くく)られず。
()ぐべからざるの(みち)()めば、則ち履んで(あやう)からず。


やむにやまれぬ状態で動けば妨げられることは無い。
正しい道を進めば何の危険もない。
共感度:C / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志録130条より
急迫(きゅうはく)は事を(やぶ)り、寧耐(ねいたい)は事を成す。

慌てて行動すると失敗する。じっくり取り組めば成功する。
共感度:C / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志録132条より
聖人は死に安んじ、賢人は死を(ぶん)とし、常人は死を
(おそ)る。

聖人は死を不安に思わず、賢人は死を天の定めと思い、一般人は死を畏れる。
共感度:D / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志録148条より
信を人に取ること
(かた)し。
人は口を信ぜずして
()を信じ、躬を信ぜずして心を信ず。
()れを(もっ)て難し。

人から信用を獲得するのは難しい。
人は言葉を信用せず、行動を見て判断し、更にその人の真意を見抜いて判断する。
よって難しい。
共感度:B / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志録154条より
妄念(もうねん)を起こさざるは()れ敬にして、妄念起こらざるは是れ誠なり。
                 
みだらな考えを起こさないのが敬であり、みだらな考えが起こらないのが誠である。
共感度:D / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志録158条より
己を修むるに敬を
(もっ)てして、以て人を安んじ、以て百姓(ひゃくせい)を安んず。
(いつ)()れ天心の流注(りゅうちゅう)なり。

自分を修めるのに敬の心(人を敬い、自分を律すること)をもってすれば、人を安らかにし、さらに天下の人民をも安心させられる。
まさに敬は天の心が流れ注いだものである。
西郷南洲遺訓第21条より
道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を
(しゅう)するに克己(こっき)(もっ)て終始せよ。
総じて人は己に
()つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。
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言志録180条より
一物の是非を見て、大体の是非を問わず。
一時の利害に
(かかわ)りて、久遠(きゅうえん)の利害を察せず。
(まつりごと)()すに、()くの(ごと)くなれば、国危し。
                  
一部を見て全体を見ない。
一時の利害で、将来を考えない。
このような政治は道を誤る。
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言志録184条より
人を教うる者、要は
(すべか)らく()の志を責むべし。
聒聒(かつかつ)として口に(のぼ)すとも、益無きなり。

人を教える者の最も肝腎な事は志が堅固であるかを見るべきである。
ただ口やかましく言っても無益である。
「志を立てて万事の源と為す」吉田松陰
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言志録221条より
私欲は有るべからず。
公欲は無かるべからず。
公欲無ければ、
(すなわ)ち人を(じょ)する(あた)わず。
私欲有れば、則ち物を
(じん)する能わず。

自分の利益ばかりを追求するのは良くない。
公共の利益は追求すべきである。
公共心がなければ他人を思いやることが出来ない。
利己心が有れば慈悲の心で他人に物を施すことが出来ない。
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言志録233条より
()く子弟を教育するは、一家の私事に(あら)ず。
()(きみ)(つか)うるの公事(こうじ)なり。
君に事うるの公事に非ず。天に事うるの職分なり。


子供をしっかり教育するのは一家の私事ではない。
これは主君に事える公事である。
いや、主君に事える公事でなく、天に事える大切な本分である。
共感度:C / 引用先:南洲手抄言志録101カ条



言志後録14条より
官に
()るに好字面(こうじめん)四有り。
公の字、正の字、清の字、敬の字なり。

()()れを守らば、(もっ)()無かるべし。
不好(ふこう)の字面も(また)四有り。
私の字、邪の字、濁の字、
(ごう)の字なり。
(いやし)くも()れを犯さば、皆()を取るの道なり。

官職に就く者にとって好ましい文字が4つある。
公、正、清、敬の4文字である。
これらの文字の意味するところを守れば決して過失を犯すことはないだろう。
一方、好ましくない文字も4つある。
私、邪、濁、傲の4文字である。
かりそめにもこれらの4つを犯したならば、みな自分に禍(わざわい)をまねくことになる。
共感度:D


言志後録18条より
閑想(かんそう)客感(かくかん)は志の立たざるに()る。
一志既に立てば、
百邪(ひゃくじゃ)退聴(たいちょう)せん。   抜粋

つまらぬ事に心が動くのは目標がたっていないからだ。
志が立っていれば多くの邪念は退散する。
共感度:B / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志後録20条より
宇は
()対待(たいたい)(えき)にして宙は是れ流行の易なり。
宇宙は我が心に外ならず。


宇は限りなく大きなもの、宙は限りなく長い時の流れ。
ともにとてもとても見極められるものではないが、心は宇も宙も感じられる。
つまり宇宙とはとりも直さず、我が心にほかならない。
共感度:D


言志後録23条より
君子も
(また)利害を説く。利害は義理に(もと)づけばなり。
小人も亦義理を説く。義理は利害に
()ればなり。

徳の高い人でも利害を説く。それは利害が義理人情に基づくものだからである。
徳のない人もまた義理を説くが、それは義理が自分の利害にかかわっているからである。
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言志後録24条より
真の巧名は道徳
便(すなわ)()れなり。
真の利害は、義理便ち是れなり 。


真の功績や名誉は道徳を実践した結果得られるものである。
本当の利害は義理である。つまり義理:人道に則った利益を考えなくてはならない。
共感度:D


言志後録28条より
心の官は
(すなわ)ち思なり。
思の字は只だ
()れ工夫の字のみ。
思えば則ち
愈々(いよいよ)精明に、愈々篤実(とくじつ)なり。
その篤実なるよりして
(これ)を行と謂い、()の精明なるよりして之を知と謂う。
知行(ちこう)は一の思の字に帰す。

心の役目は思うことである。
思うということはただ道の実行について工夫することである。
思えばますます
(くわ)しく明らかになりますますまじめに取り組むようになる。
そのまじめに取り組むところからこれを行と言い、その精密で明確なところからこれを知という。
知も行も思の一字に帰着する。

知行(ちこう)合一(ごういつ):陽明学の根本思想 王陽明『伝習録』にある
知識と行為は一体であるということ。
本当の知は実践を伴わなければならないということ。
共感度:D / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志後録33条より
以春風接人
以秋霜自粛


春風(しゅんぷう)(もっ)て人に接し、
秋霜(しゅうそう)を以て自ら(つつし)む。

春風のような温かい心で人に接し、
秋の霜のような厳しい心で自らを律していく。
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言志後録34条より
克己(こっき)の工夫は一呼吸の間に()り。
                 
自分の邪心・誘惑に打ち勝つ工夫は呼吸の間にある。一瞬たりとも油断してはならない。
共感度:D


言志後録53条より
鱗介(りんかい)の族は水を虚と()し、水の(じつ)たるを知らず。

魚介類は水をないように考え、水があってもそれに気づかない。
我々も太陽、自然の恩恵に気づいていない場合が多い。
共感度:D


言志後録55条より
志気は
(えい)ならんことを(ほっ)し、
操履(そうり)(たん)ならんことを欲し、
品望(ひんぼう)(こう)ならんことを欲し、
識量(しきりょう)(かつ)ならんことを欲し、
造詣(ぞうけい)(しん)ならんことを欲し、
見解は
(じつ)ならんことを欲す。

気概(いきごみ)は鋭くありたい、
行い(操履)は正しくありたい、
品位や人望は高くありたい、
見識や度量は広くありたい、
学識は深くありたい、
物の見方や解釈は真実でありたい。
『史記』李将軍伝賛より『
桃李成蹊(とうりせいけい)
桃李
(とうり)
もの言わざれど(した)(おのずか)(みち)()
『雨ニモマケズ』  宮澤賢治
雨ニモマケズ             雨にも負けず
風ニモマケズ             風にも負けず
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ       雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫ナカラダヲモチ          丈夫なからだをもち
慾ハナク               慾(よく)はなく
決シテ瞋ラズ             決して瞋(いか)らず
イツモシヅカニワラツテヰル      いつも静かに笑っている
一日ニ玄米四合ト            一日に玄米四合と
味噌ト少シノ野菜ヲタベ        味噌と少しの野菜を食べ
アラユルコトヲ             あらゆることを
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ      自分を勘定に入れずに
ヨクミキキシワカリ           よく見聞きし分かり
ソシテワスレズ            そして忘れず
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ           野原の松の林の陰の
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ          小さな萱ぶきの小屋にいて
東ニ病氣ノコドモアレバ         東に病気の子供あれば
行ツテ看病シテヤリ           行って看病してやり
西ニツカレタ母アレバ          西に疲れた母あれば
行ツテソノ稻ノ束ヲ負ヒ         行ってその稲の束を負い
南ニ死ニサウナ人アレバ         南に死にそうな人あれば
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ    行ってこわがらなくてもいいといい
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ     北に喧嘩や訴訟があれば
ツマラナイカラヤメロトイヒ       つまらないからやめろといい
ヒドリノトキハナミダヲナガシ      日照りの時は涙を流し
サムサノナツハオロオロアルキ      寒さの夏はおろおろ歩き
ミンナニデクノボートヨバレ       みんなに木偶坊(デクノボウ)と呼ばれ
ホメラレモセズ             褒められもせず
クニモサレズ              苦にもされず
サウイフモノニ             そういうものに
ワタシハナリタイ            私はなりたい
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言志後録64条より
(かい)()る者は()(けん)を見、
顕に
()る者は晦を見ず。

陽の当たる場所に居る人は日陰に居る人にいつも見られている。
陽の当たる場所に居る人は日陰に居る人などあまり見ない。
陽の当たる場所に居る人は気をつけねばいけない。
共感度:A / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志後録77条より
聖賢を
講説(こうせつ)して、()れを()にする(あた)わざるは、之れを口頭の聖賢と()う。()れ之れを聞きて一たび惕然(てきぜん)たり道学(どうがく)を論弁して、之れを(たい)する能わざるは、之れを紙上の道学と謂う。
吾れ之れを聞きて再び惕然たり。


聖賢の道を説くが、実践できない人を口頭の聖賢という。
私は之れを聞いて恐れ入った
儒学を論じたり弁じたりしているのに、体得できない人を紙上の道学という。
私はこれを聞いて、再び恐れ入った。
共感度:C / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志後録80条より
智・仁は性なり。勇は気なり。
配して
(もっ)て三徳と()す。
みょう(玄偏に少)理(みょうり)有り。

智恵と仁愛は本性=天性である。勇気は本性から生じる気で後天的なものである。
この智・仁・勇を配合して三徳となす。
これは妙理である。
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言志後録88条より
敬は勇気を生ず。


「敬」とは人を敬い、また自らを律し、慎むことです。自分に厳しくして、心の誘惑に打ち勝つこと。
克己(こっき)
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言志後録93条より
()く寝食を慎むは孝なり。


自分の暮しを大切にして親に心配をかけない。親孝行とは簡単なものである。
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言志後録94条より
天を
(もっ)て得る者は固く、人を以て得る者は(もろ)し。

公正な道理で成し得た物は強固だが、智謀で人為的に得たものは脆弱である。
共感度:C / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志後録98条より
人は皆身の安否を問うことを知れども、心の安否を問うを知らず。
宜しく自ら問うべし。
()く闇室を欺かざるや(いな)や。
能く
衾影(きんえい)()じざるや否や、能く安穏(あんのん)快楽を得るや否やと。
時時
(かく)の如くすれば、心便(すなわ)(ほしいまま)ならず。

人は皆、身体の健康を問うことを知っているが、心が安らかか問うことを知らない。
自らに問うべし。暗い部屋の中でも自分自身を欺いていないか。
夜具や自分の影に恥じる事はないか、心が安らかで楽しいかどうか。
時々このように自分を見直せば、心がわがままになることはない。
共感度:C / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志後録109条より
百年すとも再生の我なし。
それ
(こう)()()けんや。

100年経っても再び生まれてくることはない。
毎日を虚しく過ごしてはならない。
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言志後録130条より
精神を
収斂(しゅうれん)して、(もっ)て聖賢のの書を読み、
聖賢の書を読みて、以て精神を収斂す。


精神を引き締めて聖人や賢人の書物を読み、
聖賢の書物を読んで心を引き締める。
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言志後録138条より
学は自得するを
(たっと)ぶ。
(いたず)らに目を(もっ)て字有るの書を読む。
(ゆえ)に字に(きょく)して、通透(つうとう)するを得ず。
(まさ)に心を以て字無きの書を読むべし。
(すなわ)(どう)して自得する有らん 。
                  
学問は自ら会得することが大切である。
人は文字に囚われて、その背後を見通せないでいる。
心で書は読むべし。
共感度:D / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志後録141条より
小薬は
()れ草根木皮、
大薬は是れ飲食衣服、
薬原は是れ心を治め身を修むるなり。


毎日の生活を正すのが第一の健康法。
薬に頼るのは二の次。
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言志後録178条より
人は
(まさ)に自ら(おの)れの才性(さいせい)に長短有るを知るべし。

自分の才能や性格に長所と短所があることを認識しておくべきである。
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言志後録198条より
人主(じんしゅ)の学は智・仁・勇の三字に在り。
()(これ)を自得せば、(ひと)り終身受用して尽きざるのみならず、(しか)掀天(きんてん)掲地(けいち)の事業、(のり)後混(こうこん)()()き者も、(また)断じて(これ)を出でず。

人君たる者が学ばなくてはいけないものは智・仁・勇の三字に在る(論語に「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は
(おそ)れず」とあります)。
この三字を会得すれば一生この三徳を受用しても尽きることはなく、さらに天地が驚くほどの事業を成し遂げ、手本を後世に残すことができるのもこの三徳を実践する以外にない。
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言志後録210条より
識量は知識と
(おのずか)ら別なり。
知識は外に在り、識量は内に在り。


見識・度量と知識はまったく別のものである。
知識は外的後天的なものであり、識量は先天的に内に備わっているものである。
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言志後録211条より
人才に虚実在り。
宜しく
弁識(べんしき)すべし。

人の才能には虚と実(中味が伴っていない場合が)ある。
きちんと識別すべき。
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言志後録224条より
信を人に取れば、
(すなわ)(ざい)足らざること無し。

人に信用されるようになればお金に困るということはない。
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言志後録239条より
余は弱冠前後、鋭意書を読み、目、千古を
(むな)しゅうせんと欲す。
中年を過ぐるに及び、一旦
悔悟(かいご)し、痛く外馳(がいち)を戒め、務めて内省に従えり。
然る後に自ら
(やや)得る所有りて、この学に(そむ)かざるを覚ゆ。
今は
(すなわ)ち老ゆ。少壮読む所の書、過半は遺忘し、(ぼう)として夢中の事の如し。
(やや)留りて胸臆(きょうおく)に在るも、(また)落落として片段を成さず。
益々半生力を無用に費ししを()ゆ。
今にして
(これ)を思う、『書は(みだり)に読む()からず、必ず(えら)()つ熟するところ有りて可なり。
()だ要は終身受用足らんことを要す』と。
後生、我が悔を
()むこと(なか)れ。

私は20歳頃、一生懸命に読書して、千年も昔の事まで知り尽くしたいと思った。
中年を過ぎてから、一度以前の事を後悔して、心を外に向けることを戒め、もっぱら内心に反省するようになった(知識の習得だけでなく自分で思索するように努めた)。
このようにしてからはやや得る所があり、これが聖賢の学に反しないことを覚(さと)り得た。
今は老人になってしまって、若い頃に読んだ書物は、半分以上ほども忘れてしまい、ぼんやりと夢のようである。
少し心に残っていることも、まばらでまとまっていない。

それを考えるとますます尊い半生を無駄な事に精力を費やしてきた事を後悔している。
今になって考えると、『書物はむやみに読むべき物ではなく、必ずよく書物を選択して、熟読するのがよい。
ただ肝心なことは読書して得たことを一生涯十分に活用することである』。
後輩は自分(佐藤一斎)が経験した後悔を繰り返してはいけない。
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言志後録243条より
血気には老少有るも、志気には老少無し。
老人の講学には
(まさ)に益々励まして、少壮の人に譲る()からざるべし。
以下省略


血気には老人と青年では差があるが、意気ごみには差がない。
老人が学問をしようと思えば志気を奮い立たせて、少壮の人に負けてはいけない。
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言志晩録1条より
学を
()すの緊要(きんよう)は、心の一字に在り。
心を
()りて(もっ)て心を治む。()れを聖学と()う。
(まつりごと)()すの着眼は、情の一字に在り。
情に
(したが)って以て情を治む。之れを王道と謂う。
王道・聖学は二に
(あら)ず。

学問する場合、最も大切なことは心の一字である。
自分の心をしっかり把握して心を高めていく。これを聖人の学問と言うのである。
政治を行う場合の着眼点は情の一字にある。
人情の機微に従って人々を治めていく。これを王者の政道と言う。
王道・聖学は同一である。
共感度:D / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志晩録13条より
堤一燈
行暗夜
勿憂暗夜
只頼一燈


一燈(いっとう)()げて、
暗夜を行く。
暗夜を
()れうる(なか)れ。
只一燈を頼め。


暗夜は逆境、一燈は信念・志と解釈すべき。
または暗夜は苦難・煩悩。一燈は本心・信心と思う。
共感度:A / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志晩録55条より
独得の見は私に似たり。人
()(にわ)かに至るを驚く。
平凡の議は公に似たり。世其の
()れ聞くに安んず。
(およ)そ人の言を聴くには、宜しく虚懐にして()れを(むか)うべし。
(いやし)くも狃れ聞くに安んずる()くば可なり。

その人だけの独特の見解は私的な偏見に見える。人々は急に耳にするので驚いてしまう。
普通一般的な議論は公論のように見える。世間の人は聴きなれているので安心する。
大体、人の意見を聴くには虚心坦懐であるべき。その上でよく判断すべきである。
かりにも、聞きなれた説に安んじなければそれでよい。
共感度:D / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志晩録60条より
少而学則壮而有為
壮而学則老而不衰
老而学則死而不朽


(わか)くして学べば、(すなわ)ち壮にして()すこと有り。
壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。


若くして学べば、大人になって世のため、人のために役に立つ人間になる。
壮年になって学べば、年をとっても衰えない。いつまでも活きいきしていられる。
年をとって学べば、死んでもくさらない。その精神は永遠に残る。
何を学ぶかというと江戸時代ですから中国古典の四書五経になるのでしょう。佐藤一斎は儒学者ですから「如何に正しく生きるべきか」ということだと思います。
「人生まれて学ばざれば、生まれざるに同じ。学んで道を知らざらば学ばざるに同じ。知って行わざれば知らずに同じ」貝原益軒
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言志晩録70条より
我れは
(まさ)に人の長処を視るべし。
人の短処を視る
(なか)れ。
短処を視れば即ち彼に勝り、我れに於いて益なし。
長処を視れば即ち彼我れに勝り、我れに於いて益あり。


人を見るときは長所を見て、
短所は視るべきでない。
短所を視れば自分が相手より優れていると思い、努力しなくなる。
長所を見れば学ぶことが多く有り、有益である。
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言志晩録87条より
満を引いて
()(あた)れば、発して空箭(くうせん)無し。
人事宜しく射の如く
(しか)るべし。

弓を十分に引きしぼって的に当てれば、当たらない空矢は無い。
人間社会の物事でも、弓を射るように十分に考え、準備して断行すれば、失敗する事はない。
共感度:D / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志晩録103条より
彼を知り己を知れば百選百勝す。
彼を知るは、
(かた)きに似て(やす)く、己を知るは、易きに似て難し。
                  
「彼を知り、己を知れば百戦殆(あやう)からず・・・」孫子
「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」王陽明
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言志晩録141条より
婦徳は一箇の貞字。
婦道は一箇の順字。


婦人が守るべき徳は操が正しいことを意味する「貞」の一字である。
婦人が行うべき道は道理に素直に従うという意味の「順」の一字である。
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言志晩録169条より
我が言語は、吾が耳自ら聴くべし。
我が挙動は、吾が目自ら
()るべし。
視聴既に心に
()じざらば、(すなわ)ち人も(また)必ず服せん。

自分の言葉は自分で聴くべし。
自分の行動は自分の目で視るべき。
自分の目で視、自分の耳で聴いて心に愧じることがなければ、人もまた必ず従う。
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言志晩録170条より
口を
(もっ)て己の行いを(そし)ること(なか)れ。
耳を以て人の言を聞くこと勿れ。


自分の口で自分の行動を非難するものではない。
自分の耳で他人の言葉を聞いてはいけない(心で聴いて判断すべき)
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言志晩録177条より
人は当に自ら吾が心を
礼拝(らいはい)し、自ら安否を問うべし。
吾が心は即ち天の心、吾が身は即ち親の身になるを
(もっ)てなり。
()れを天に(つか)うと()い、是れを終身の孝と謂う。

人は常に自分の心を拝み、それが健全かどうか問うべきである。
自分の心は天から与えられた心であり、自分の身体は親の遺伝子を引き継いでいる。
これを天に事える言い、身体を大切にすることを生涯通しての孝と言う。
朝、鏡の前で『髪かたち整う前にまず思え、己が心の姿いかにぞ』
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言志晩録190条より
富人(ふじん)(うらや)むこと(なか)れ。
()れ今の富は(いず)くんぞ()の後の(ひん)を招かざるを知らんや。
貧人(ひんじん)(あなど)ること勿れ。
渠れ今の貧は安くんぞ其の後の富を
(たい)せざるを知らんや。
畢竟(ひっきょう)天定(てんてい)なれば、(おのおの)()(ぶん)に安んじて可なり。

金持ちを羨んではいけない。
彼の現在の富がどうして後日の貧乏を招かないということが判ろうか。
貧乏人を侮ってはいけない。
彼の現在の貧乏がどうして将来の金持ちの元であることを知ることが出来ようか
結局、貧富は天が定めるものであるから、各人はその本分に安んじて真剣に生きていけばよい。
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言志晩録193条より
人は皆将来を図れども、
(しか)も過去を忘る。
(こと)に知らず、過去は(すなわ)ち将来の路頭(ろとう)たるを。
(ぶん)を知り足るを知るは、過去を忘れざるに在り。

人は皆、将来のことを考えるが、過去のことは忘れてしまっている。
とりわけ、過去が将来の人生の出発点であることを忘れている。
自分の立場の分限を知り、現状に納得することは過去を忘れないことから生まれる。
言志録42条参照
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言志晩録202条より
(おのおの)(ぶん)あり。(まさ)に足るを知るべし。
()だ講学は(すなわ)ち当に足らざるを知るべし。

人にはそれぞれ本分がある。それに満足して貪らず、安らかに暮らすことが大切である。
ただし、学問する場合はなお足らないことを知って努力を続けなくてはならない。
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言志晩録205条より
艱難(かんなん)()く人の心を(かと)うす。
(ゆえ)に共に艱難を()し者は、交わりを結ぶも(また)密にして、(つい)(あい)忘るる(あた)わず。
糟糠(そうこう)の妻は堂より下さず」とは亦()(るい)なり。

辛く苦しい体験は人の心を堅固にする。
だから一緒に艱難を経験してきた者はその交友も緊密でいつまでも忘れることは出来ない。
「若い頃から一緒に苦労してきた妻を出世したからといって、家から追い出すようなことはせず大切にする」というのも同じ道理である。
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言志晩録209条より
人を
(あざむ)かざる者は、人も(また)()えて欺かず。
人を欺く者は、
(かえ)って人の欺く所と()る。

人をだまさない者は、人もまた決してだまさない。
人をだます者は、却って人からだまされるようになる。
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言志晩録214条より
赤子の
一啼(いってい)一咲(いっしょう)は皆天籟(てんらい)なり。
老人の一話一言は皆
活史(かっし)なり。

赤ん坊の泣き声や笑う声は松の枝吹く風の様だ。
老人の話は生きていくのにとても参考になる。
そんな事を感じたら今生きていられるのは本当に嬉しい。
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言志晩録222条より
石重し。
(ゆえ)に動かず。
根深し。故に抜けず。
人は
(まさ)に自重を知るべし。

石は重いから動かない。
根が深ければ抜けない。
人も慎んで軽々しい言動をとらないようにすべき
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言志晩録227条より
真孝は孝を忘る。
念々(ねんねん)()れ孝なり。
真忠は忠を忘る。念々是れ忠なり。


真の孝行とは自分が孝行していることを殊更に意識しないものである。思うことが全て孝行なのである。
真の忠義とは自分が忠義であると殊更に意識しないものである。思うことが全て忠義なのである。
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言志晩録229条より
父の道は
(まさ)厳中(げんちゅう)()(そん)すべし。
母の道は当に
慈中(じちゅう)(げん)を存すべし。

父の道は厳格のうちに慈愛がなければならない。
母の道は慈愛のうちに厳しさがなければならない。
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言志晩録233条より
人の過失を責むるには、
十分(じゅうぶん)を要せず。
宜しく二三分を
(あま)し、()れをして自棄(じき)を甘んぜず、(もっ)て自ら新たにせんことを(もと)使()むべくして可なり。

人の過失を責めるときには、徹底的に責めるのはよくない。
二、三分は残しておいて、その人が自棄にならずに、自分で改め、立ち直るように仕向けてやるのがよい。
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言志晩録239条より
(およ)そ事を()すに、意気を(もっ)てするのみの者は、理に(おい)(つね)障碍(しょうがい)有り。

何か事をなすときに、意気込みだけで行う者は、道理において、いつも間違いがある。
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言志晩録240条より
人は恥
()かる()からず。又(くい)無かる可からず。
悔を知れば
(すなわ)ち悔無く、恥を知れば則ち恥無し。

人は恥を知るということがなくてはならない。又悔い改めるということがなくてはならない。
悔い改めることを知っていれば悔い改めることはなくなるし、恥を知ることを心得ておれば、恥をかくことはなくなるものである。
言志耊録23条参照
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言志晩録247条より
恩を売る
(なか)れ。
恩を売れば
(かえ)って(うらみ)()く。
(ほまれ)(もと)むる勿れ。
誉を干むれば、
(すなわ)(そしり)を招く。

人に恩を売ってはいけない。
下心を持って恩を売れば、却って人の怨みを買うことになる。
名誉を求めてはいけない。
内容の伴わないで名誉を求めれば、非難されるだけである。
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言志晩録248条より
日間(にっかん)瑣事(さじ)は、世俗(せぞく)(そむ)かざるが可なり。
立身・
操守(そうしゅ)は世俗に背くこと可なり。

日常の細かなことは世間の風俗に反しないようにするのが良い。
自分が志を立て、それを守り貫こうとする場合は世俗に背いても構わない。
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言志晩録252条より
三百六旬吉ならざる日なし。
一念善を
()(これ)吉日也。
三百六旬凶ならざる日なし。
一念悪を作す是凶日也。      抜粋

              
毎日良いことをすれば一年中が吉日。
毎日悪いことをすれば一年中が凶日。
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言志晩録258条より
昨日を送りて今日を迎え、今日を送りて明日を迎う。
人生百年、
()くの(ごと)きに過ぎず。(ゆえ)に宜しく一日を慎むべし。
一日慎まずんば、
(しゅう)身後(しんご)(のこ)さん。(うら)むべし。
羅山(らざん)先生()う、「暮年(ほねん)宜しく一日の事を(はか)るべし」と。
()謂う、「()の言、浅きに似て浅きに(あら)ず」と。

昨日を送って今日を迎え、今日を送って明日を迎える。
人生100年生きたとしてもこの繰り返しに過ぎない。だからこそ一日を慎まなくてはならない。
一日を慎まなければ、死後に醜名(しこな)を残す事になる。残念な事である。
林羅山先生がおっしゃった「晩年になったら、その日一日の事だけ考えて生きるがよい」と。
私は「この言葉は浅薄(せんぱく)なように思われるが決して浅薄ではない」と。
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言志晩録267条より
尋常の老人は、多く死して仏と成るを
(もと)む。
学人は
(すなわ)(まさ)に生きて聖と()るを要むべし。

普通の老人は多くが死んで成仏することを願う。
学問を修める者は生きて聖人になることを念願すべきである。
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言志晩録280条より
養生工夫
在節一字


養生の工夫は、節の一字に在り。


養生の工夫は、一言で言えば節度を守るという事である。
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言志晩録283条より
我れより前なる者は、
千古万古(せんこばんこ)にして、我れより後なる者は、千世万世(せんせばんせ)なり。
仮令(たとい)我れ寿(じゅ)を保つこと百年なりとも、(また)一呼吸の間のみ。
今、
(さいわい)に生まれて人なり。(こい)(ねがわ)くは人たるを()して終わらん。()れのみ。本願(ここ)に在り。

自分が生まれる前には千万年の遠い過去があり、自分より後にも千万世の遥(はる)かな未来がある。
たとえ自分が百年生きたとしても歴史の中では一呼吸の間でしかない。
幸い、人間として生まれてきた以上、人としての使命を全うして一生を終わりたい。一生の念願はここにある。
初唐の詩人
劉廷芝(りゅうていし)の詩より  年々歳々花相似たり
                   歳々年々人同じからず
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言志晩録290条より
海水を器に
()み、器水を海に(かえ)せば、
死生は直ちに眼前に在り。


海水を器に汲み、その水を海に
(かえ)せば、
死生の道理はそのまま目の前にある。
器の海水が生で、海に還した水が死に当たる。
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言志(てつ)録17条より
学を志すの士は、
(まさ)に自ら己を頼むべし。
人の熱に
()ること(なか)れ。      抜粋

学問を志す者は自分の力に頼るべきである。
他人の助けを借りてはいけない。
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言志耋録18条より
自家
田中(でんちゅう)一粟(いちぞく)をも()つること(なか)れ。
隣人
畝中(ぼちゅう)の一菜をも摘むこと勿れ。

自分の物は粟一粒をも無駄にするな。
他人の物は菜っ葉一枚でもとるな。
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言志耋録23条より
立志の工夫は、(すべか)らく羞悪(しゅうお)念頭より、踉脚(こんきゃく)を起こすべし。
恥ず()からざるを恥ずること(なか)れ。
恥ず可きを恥じざること勿れ。
孟子()う、「恥無きを()れ恥ずれば、恥無し」と。
(ここ)()いてか立つ。


志を立てるにはまず自分の不善を恥じ、人の不善を憎むという羞悪心から出発しなければならない。
恥じなくてよいことを恥じることはないが、
恥じなければならないことを恥じないようではいけない。
孟子も「恥じなければならないことに恥じないでいることを恥と感じれば恥をかかなくなる」といっている。
このようにして志が始めて立つのである。
恥じなくてよいこと。
無学歴、貧乏、服装が貧弱、美男美女でない、お世辞が言えない事。
恥じなければならないこと。
志が無いこと、厚顔無恥、相手により態度を変えること、正直でないこと、陰口を言うこと、約束を守れないこと、考えが卑屈であること、不平不満が多いこと。
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言志耋録24条より
私欲の制し
(がた)きは、志の立たざるに()る。
志立てば、真に
()紅炉(こうろ)に雪を点ずるなり。
(ゆえ)に立志は徹上(てつじょう)徹下(てつげ)の工夫たり。
                  
自分の欲望を抑えがたいのはしっかりと志が立っていないのが原因である。
志が立っていれば、これはまさに火が燃えている炉の中に一掴みの雪を置くようなものだ。
だから立志というものは上から下まであらゆる事柄に通じる工夫なのである。
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言志耋録31条より
困心(こんしん)衡慮(こうりょ)は智恵を発揮し、
暖飽(だんぼう)安逸(あんいつ)は思慮を埋没す。
()()れ苦種は薬を成し、甘品(かんひん)は毒を()すがごとし。

とても困った時本当の知恵が湧いてくる。
安逸を貪っていると知恵は退化していく。
これは苦いものが薬となり、甘いものが毒になるようなものである。
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言志耋録33条より
得意の事多く、失意の事少なければ、
()の人、知慮(ちりょ)を減ず。不幸と()うべし。
得意の事少なく、失意の事多ければ、其の人、知慮を長ず。
(さいわい)と謂うべし。

思うように事が運び、失望する事が少なければ真剣に考える機会が少なくなり、智慧と思慮が減少していく。不幸と言うべきである。
思うように事がうまくいかず、失望する事が多ければ、その人は考える機会が多くなり、智慧と思慮が増していく。幸いと言うべきである。
共感度:D


言志耋録39条より
気象を
理会(りかい)するは、便(すなわ)()克己(こっき)の工夫なり。
語黙(ごもく)動止(どうし)(すべ)篤厚(とっこう)なるを要し、和平なるを要し、舒緩(じょかん)なる要す。
粗暴なること
(なか)れ。激烈なること勿れ。急速なること勿れ。

自分の気性を理解することは、すなわち自己に打ち克(か)つ工夫である。
語ることも黙ることも、動くことも止まることも総て親切で手厚くあり、おとなしく穏やかであり、ゆるやかでゆったりしておらなければならない。
粗暴で、激烈で、急速であってはならない。
共感度:D


言志耋録44条より
一息の間断なく一刻の急忙なし。
即ちこれ天地の気象なり。


天地は止まらない、慌てない。
人生もかくありたい。
共感度:D / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志耋録61条より
()く身を養う者は、常に病を病無きに治め、
善く心を養う者は、常に欲を欲無きに去る。


自分の身体に気を使う者は常に養生して病気にならないように努めている。
自分の精神修養に心掛けている者は常に私欲が起きる前に其の芽を摘み取るようにしている。
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言志耋録62条より
情の発するや緩急有り。
忿慾(ふんよく)(もっと)も急と()す。
忿は
()お火のごとし。(こら)さざれば(まさ)に自ら()けんとす。
慾は猶お水のごとし。
(ふさ)がざれば将に自ら溺れんとす。
損の
()の工夫、緊要(きんよう)なること(ここ)に在り。

感情が起こる場合緩急がある。最も急なのは怒りと情欲である。
怒りはあたかも猛火のようなもので、消火しなければ自分が焼け死んでしまう。
情欲はあたかも洪水のようなもので、塞(せ)き止めなければ溺れてしまう。
「易経」にあるこの修養工夫は誠に大切である。
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言志耋録96条より
(およ)そ事を()すには、(まさ)に先ず()の義の如何(いかん)(はか)るべし。
便宜を謀ること
(なか)れ。便宜も(また)義の中に在り。

全ての事をなす場合には、先ずその事が道義に適(かな)っているかを考えなくてはならない。
特別な計らいをしてはいけない。特別な計らいも道義から外れてはいけない。
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言志耋録105条より
人を知るは
(かた)くして(やす)く、自ら知るは易くして難し。
()(まさ)(これ)夢寐(むび)(ちょう)して(もっ)て自ら知るべし。
夢寐は自ら欺く
(あた)わず。

他人のことについて知るのは難しいようであるが易しい。自分自身を知るのは易しいようで難しい。
ただ、自分のことは夢に出るので知ることができる。
夢は自らを欺くことはできない。
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言志耋録106条より
自らを
(あざむ)かず。()れを天に(つか)うと()う。

自分自身を偽らない。これを天に事えると言います。
南洲翁遺訓に「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして
(おのれ)(つく)し人を(とが)めず。我が誠の足らざるを(たず)ぬべし」とあります。
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言志耋録113条より
人は
(すべか)らく忙裏(ぼうり)にかん(門構えに月の文字:間の俗字)を()め、苦中(くちゅう)に楽を(そん)する工夫を()くべし。

人は多忙の中でも閑静な気持を持ち、苦しいときでも楽しみを見つける工夫をすべきである。
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言志耋録114条より
(およ)そ人事を区処するには、(まさ)に先ず()の結局の処を(おもんばか)って、(しか)る後に手を下すべし。
(かじ)無きの舟は()ること(なか)れ。
的無きの
()(はな)つ勿れ。

大体、世間の諸事を処理していくには、終局の結果を予め考えてから、着手すべきである。
舵のない舟に乗ってはいけない。
的の無い矢は放ってはいけない。
共感度:C / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志耋録124条より
世を
(わた)るの道は、得失の二字に在り。
()べからざるを得ること(なか)れ。
失うべからざるを失うこと勿れ。
()くの(ごと)きのみ。

世渡りの道は得と失の2字にある。
得てはいけない虚名とか正しくない利益のようなものは得てはいけない。
自分の信念・志のようなものは失くしてはいけない。これが処世の要道である。
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言志耋録130条より
足るを知って
()れ足れば常に足る。
仁に
(ちか)し。
恥無きを之れ恥ずれば恥無し。
義に庶し。


老子は「足ることを知って満足するならば、いつも不足や不満を感じることはない」と言っている。
これは仁に近いと言える。
孟子は「恥ずべきことを恥じずにいることを恥として憎むのであれば恥は無くなる」と言っている。
これは義に近いと言える。
言志録42条、言志耊録23条参照
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言志耋録139条より
怠惰の冬日は何ぞその長きや。
勉強の夏日は何ぞその短きや。
長短は我れに在りて、日に在らず。
待つ有るの一年は、何ぞ
()(ひさ)しきや。
待たざるの一年は、何ぞ其の
(すみや)かなるや。
久速(きゅうそく)は心に在りて、(とし)に在らず。

怠けて過ごしていると、短い冬の日でもなんと長いことであろうか。
勉め励んでいると長い夏の日でもなんと短いことか。
この長短は自分の心の持ち方次第で、日そのものにはない。
また、なにかの楽しみを待っている1年はなんと待ち遠しいものか。
何ら待つことの無い1年はなんと速く過ぎていくことか。
この久速も自分の心の持ち方次第で、年そのものにはない。
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言志耋録140条より
朝にして食わざれば、
(すなわ)ち昼に()え、少にして学ばざれば、則ち壮にして(まど)う。
饑うる者は
()お忍ぶ()し。惑う者は奈何(いかん)ともす()からず。

朝食を摂らないと昼に空腹感じる同様に、若いときに学問をしておかなければ、壮年になって迷いが生じて途方にくれる。
ひもじいのは我慢ができるが、無学で惑うのはどうにもしようもない。
共感度:D / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志耋録142条より
富を欲するの心は即ち貧なり。
貧に安ずるの心は即ち富なり 。


欲にはきりがない。どこ迄もその心は貧しい。
今生きているありがたさを感じたらそれが富というものだ。
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言志耋録154条より
必ずしも福を
(もと)めず、()無きを(もっ)て福と()す。
必ずしも栄を
(ねが)わず、(じょく)無きを以て栄と為す。
必ずしも
寿(じゅ)を祈らず、(よう)せざるを以て寿と為す。
必ずしも富を求めず、
()えざるを以て富と為す。

必ずしも幸福を求める必要は無い。禍いがない事を幸福と思えば良い。
必ずしも栄誉を希わなくても良い。恥をかかなければ栄誉なのである。
必ずしも長寿を祈らなくても良い。若死にしなければ長寿と言えるのである。
必ずしも金持ちにならなくても良い。飢えることがなければ富んでいるのと同じである。
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言志耋録169条より
我れ恩を人に施しては忘る
()し。
我れ恵みを人に受けては忘る可からず。


自分が恩恵を人に施した場合はこれを忘れるべきである。
しかし、自分が恩恵を人から受けた場合は決して忘れてはならない。
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言志耋録180条より
人の一話一言は
(いたず)らに聞くこと(なか)れ。
必ず
好歹(こうたい)有り。弁ず()し。
        
人のちょっとした話や言葉でもいい加減に聞いてはいけない。
その話や言葉には必ず善と悪があるから、よく弁別すべきである。
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言志耋録182条より
有りて無き者は人なり。
無くて有る者も
(また)人なり。
人は多数いるけれども、いないのは立派な人物である。
しかし、立派な人物はいないようでもいる。
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言志耋録214条より
(いたず)らに我れを()むる者は喜ぶに足らず。
徒らに我れを
(そし)る者は(いか)るに足らず。
誉めて当たる者は我が友なり。

(よろ)しく(つと)めて(もっ)()(じつ)を求むべし。
毀りて当たる者は我が師なり。
宜しく敬して以て其の
(おしえ)に従うべし。

やたらと自分を誉める者がいても、喜ぶほどのことではない。
やたらと自分をけなす者がいても怒るほどのことではない。
誉められて、それが的を射ているならば、その人は自分の友である。
しっかり努力して結果を出すようにしなければならない。
けなされて、それが的を射ているならば、その人は自分の師である。
慎んでその人の教えに従うべきである。
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言志耋録283条より
身には
老少(ろうしょう)有りて、心には老少なし。
気には老少有りて、理には老少なし。

(すべか)らく()く老少無きの心を()りて、
(もっ)て老少無きの理を(たい)すべし。
                  
人間の体には老化と若さの別が有っても心には老少は無い。
元気には老少の差があるが、道理には老少は無い。
だから老人だとか若者だということに捉われない心を持って、
老少の無い道理を体得すべきだ。
共感度:C / 引用先:南洲手抄言志録101カ条


言志耋録285条より
天道・人事は、皆
(ぜん)(もっ)て至る。
楽を未だ楽しからざる日に楽しみ、
(うれい)を未だ患えざるの前に患うれば、(すなわ)ち患(まぬが)れるべく、(たのしみ)(まっと)うすべし。
(かえり)みざるべけんや

自然現象や社会の出来事は全て徐々に起こってくるものである。
それで楽しみが来る前に楽しみ、心配事が顕在化する前に用心しておけば、心配事は免れる事ができるし、楽しみは全うすることができる。
よく考えておくべきことだ。
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言志耋録322条より
清忙は養を成す。
過閑は養に非ず。

                 
気持ちよい忙しさは養生になる。
暇を持て余すようでは養生にはならない。
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参考文献
言志四録
   久須本文雄/全訳注   講談社

佐藤一斎一日一言 『言志四録』を読む   渡邉五郎三郎/監修   致知出版社
「言志四録」心の名言集    久須本文雄/訳 細川景一/編   講談社
佐藤一斎言志四録手抄 彫版 名言録集   徳増省允/著   いわむら一斎塾
再発見日本の哲学 佐藤一斎-克己の思想   栗原剛/著   講談社
人間は一生学ぶことができる   谷沢永一、渡部昇一/著   PHP研究所
言志四録抄録   渡邉五郎三郎/訳 世良田嵩/編   明徳出版社
佐藤一斎「言志四録」を読む   神渡良平/著   致知出版社
言志四録に学ぶ心の基礎力2   杉山巌海(孝男)/著   「100万人の心の緑化作戦」事務局


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